昨日イランより帰国しました。

お世話になりました教授、学生さん、そしてイランの方々に心より感謝します。


これまであらゆる世界へ飛び出し、人と出会い語らい、その世界のアイデンティティを知り、その多様性を吸収してきました。

実際 どの国が一番良かったか など決められません。

しかしイランは 最も印象に残った国 と位置づけられます。


人々と街から感じる生命力とインパクトはインドにも負けず劣らず、溢れていた気がします。




イラン人の友人から今回ひとつ尋ねられました。

「君から見たイランという国を簡潔に一言で表してくれ」と。


その時僕は散々悩んだ末、何も答えられませんでした。

帰国して、冷静になってみると答えはすんなりと浮かびました。


イランとは

「人間の心で満ち溢れた国」

だと思います。


喜怒哀楽、思いやり、同情、嫉妬、愛情、、、多くの感情、人の心。

人間の心。

突き刺さる心、包み込む心。


日本が失いかけている 人と人の繋がり の広さ。深さ。

イランという国のあらゆるところに 人間の心 がありました。

日本ではもう、その存在を身近に、日常的に感じられるところは少ない。

かもしれない。


世界の半分がそこにある とまで言われた、エスファハーンのイマーム広場。

モスクなど建造物の美しさもさることながら、驚かされるのは人の多さ。

それは観光客だけではない。

周辺の住民がそこに家族ぐるみでやってきては、自前のペルシャ絨毯を広場に敷き、

紅茶をいれ、家庭料理やお菓子を楽しむ光景があちこちで見られます。

子供と一緒に遊んだり、それも何世帯も一緒にしていたりする。

その場にテレビやスマホ、酒などは必要なく、あるのは語らいと紅茶と人のぬくもり。


仕事を遅くまで頑張ってお金を得て満足する幸福よりも、

仕事はするけど休みをちゃんととって人や家族と語り合う幸福が大切だそう。

本当の幸福ってこれなのかもなぁ。

「俺も混ぜてくれ~!」と突入したくなるほど幸せそうでした。

宗教的な禁忌(酒など)はありますが、

そんなもの最初からなかったようにさえ感じられるほど幸せそうでした。


イラン人の友人曰く、日本の男性会社員が仕事終わったあとに社員たちだけで酒を飲みに行くのが不思議でならないそうです。

「マスオさんがアナゴ君を飲みに誘って二人だけで居酒屋に入るのが考えられない。

どうして家族みんなで行かないんだい?

どうしてマスオさんはアナゴ君の家族を家に招いてみんなで紅茶を飲まないんだい?」

ってことですかね。


親しくなった人は、家に招いて一緒に紅茶を飲み、たくさんのフルーツやお菓子でもてなしてくれます。

しかもそれも家主の仕事。家主が出してくれたり、その家の子供たちもきちんともてなし方を知っていて、話し相手になってくれたりします。

そして紅茶を無限に淹れてくれます。無限に出してくれます。


日本だと「お客さんが来るからお部屋に行ってなさい」なのにね。

日本の「おもてなし」とはまた違った大変面白くて心温まるおもてなしでした。



美しいものばかりじゃない、綺麗なものばかりじゃない、

醜いもの、目を背けたいもの、それら全て 人間の心 によるものでした。


イランには詩の文化があります。

詩を愛する人々です。ハーフェズの詩は日本語訳で書店にも売られています。

イスラム的考えでしょ…と言わず読まれてみてください。

彼らの心の発見があるかも。

イラン人の 挑戦する心 は目を見張るものがありました。

「とりあえずやってみよう。だめかもしれないけどやる。」


そして立つ弁と、交渉術。口論術。

言葉による交渉と歩み寄り。

後腐れない口論は清々しささえ感じました。

互いの腸を見せ合うって、こういうことなのかもなぁと。


そして誇張される個人のアイデンティティ。

まるで「君はなにで出来ている?」と問われるようでした。


我々日本人は、僕は、あなたは、一体なんなのだろう。



イランのとある大学に通う男子学生(もちろんイラン人)、

「僕らは海外研修なんて行けないよ。

"イラン"と聞くとどの国からもVISAを下ろしてもらえないからね。」

けど日本の学生はVISAおろしてもらって海外研修(イラン)へ。

これが現実。


その貴重な人材は、他国へ移住していく現実がある。

頭脳流出はイランでも問題になっていました。




日本人には、どうか誇りをもって生きてもらいたい。

イランでも日本は愛されている。

真面目で、勤勉で、素晴らしい技術を持っている。と。

(ペルシャ湾の真珠産業が日本の真珠養殖産業によって破滅に追い込まれた恨みを持つ人は多少いるかもしれないけれど…。)

前記事でも言ったように、日本とイランの間にすれ違いが生じていることが悲しい。

簡単に言うとこうです。


イラン「ジャポンはいいなあ!素晴らしいよ!」

日本「イランって危ない国でしょ?行かない方が良いよ。」



日本は中東事情についてあまりにも疎い。歴史的なものも、現在起きていることも。

ニュースで流れる度に「怖いなぁ怖いなぁ。日本は平和で良かったぁ」って言う人もいるでしょう。

それは当然のことです。怖いと思うことしか日本では報道されていないからです。

しかし事実はニュースで流れることだけじゃないはずです。

事実は見えないものにこそ価値があるんです。


しかも 見えない事実 を見ようとしない我々日本人っていったいどうなのよ…。



自分のコミュニティの中でぬくぬくとこのまま生きるか、

あえてコミュニティから飛び出して見えない事実を見に行くのか。

それは個人の自由です。自分で選択してください。


ただひとつ言えることは、メディアの情報を信じ込むな。ということです。

本当の真実(変な言葉ですが)を見たければ、自分で勉強するか、あるいは自分の目で見に行くことが一番です。

それを見に行くチャンスが巡ってきたなら、決して逃さないでください。

むしろチャンスを自ら探しに行って欲しいくらいです。



今後誰かに「イランどうだった?」と聞かれたら、

「行けばわかるよ」としか答えられないでしょう。


本当に、行けばわかるんですから。




僕がこの旅で見てきたものが イランの全て で無いことはよくわかっています。

日本が指定する邦人退避区域がイランに存在するのも事実です。

治安も日本よりは、やはり悪いかもしれません。

交通ルールも曖昧です。

しかし「日本よりも」というものさしを持ち続ける限り、歩み寄りは難しい。



彼らの命の源でもある 

つながり、親切心、付き合い、もてなし、語らい、人間の心、挑戦。


日本の方こそ遅れているのではないか?

一週回って消えかかっているのでは?

なんと希薄なものなのだろうか。


強く思います。



もう一度行きたい。

見習うべきところばかりでした。



もう一度、イラン人の友人のあの質問に答えるならば、

「我々が見習わなければならないことに満ち溢れた国」 と答えるつもりです。



どこへ行っても、子供たちは元気だ。

10年後、20年後、また君たちに会えるといいな。



-ZifLetts-

そんな感じ。

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